2013年11月27日水曜日

朝の実験

理科の会社に勤めています、と言うと、
「わー!理系なんだ、すごーい!」とか言われるんですが、
すみません、根っからの文系です。

どっちかと言うと、理科離れしたタチでして、理科的常識の無さについては、
理系の人達(特に夫)に心底驚かれてます。

「小学校で習ったよね?」と、よく言われるんですが、
私としては、よくそんな昔の事覚えてるな!と感心しちゃうわけで。
初等教育がどのように身に付くのか、その過程がむしろ興味深いなーと思うわけで。

ま、それはまたの機会に考察するとして、今日は、「朝の実験」の話を書きます!

勤めている会社では、火曜日と金曜日は、朝礼で、社員持ち回りの「朝の実験」の日!

私はこれを、とっても楽しみにしています。
自社商品を使ったり、いろんな実験ネタを当番の人が考えて、みんなの前で披露するのですが、いろんな発見があって面白いです。
(おもしろーい!で終わってしまい、「なぜこうなっているんだろう?こうしたらどうなるのかな?」という思考に繋がらないところが、理科的思考が身に付かない原因だと思うのですが。。)
私は、これを紹介しました。

ジャーン!
臓器チョッキー!
着ながら臓器の場所が確認できる優れもの!?
父の病気で、内臓って。。どうなってるっけ?と思ってたので、それを説明しつつ、
胆嚢はココ!と言いたかったんですが、
な、なんと、内臓の幾つかは省略されててありませんでした(ーー;)
子どもに学ばせるものに省略は無いだろー!
とツッコミつつ、

それではこちらで!
タペストリー、「わたしのからだ」!

こちらにはきちんとありました、胆嚢!こんなところにあるんだー!
(肝臓の裏側に隠れている緑色のところ)
臓器の位置関係もよく分かる優れものです。






余談ですが、こちら「こどもチャレンジ」のしまじろう絵本に出てくる「胃腸くん」!

野菜とか肉とかごはんとか、いろんな物をバランスよく食べないと、胃腸くんが弱っちゃうよー、
というお話に出てきます。
それ以来、胃腸くんに思いを馳せながらご飯を食べる理久。
さすがベネッセ!

さて、朝の実験、もう一つご紹介!
 ペットボトルにある液体と物質を入れ、そこに風船を差し込むと。。
勝手に膨らむー!!
なぜだー!?(ちなみに、液体はお酢、物質は重曹)
という話なんですが、先日、本社でも同じ実験ご行われ、
後輩がTwitter解説(尊敬!)してくれたのでご紹介!
炭酸水素ナトリウム+酢酸→酢酸ナトリウム+炭酸、で、
炭酸→二酸化炭素+水になるから、風船が膨らむ
化学式で書いた方が分かりやすいから、と、わざわざ化学式を書いてくれた!

NaHCO3(炭酸水素ナトリウム)+CH3COOH(酢酸)→CH3COONa(酢酸ナトリウム)+H2O(水)+CO2(二酸化炭素) 

確かに、よーく見ると、あ、うまいこと左右釣り合ってる!
化学式って、理に適ったものなんだー!と納得。

こんな感じで、無知をさらけ出しながら、朝の実験を楽しんでます!(^-^)
もっと朝の実験の様子を知りたい!という方、当社のFacebookページをイイね!して下さいねー。

あ、ちなみに、理科的なものが好きな方、通販やショップもやってますんで!

と、一応宣伝しておく、愛社精神溢れる私。
GJ!(と、結局自分を褒めたりして・・)




2013年11月6日水曜日

親に、なっていく。向いてるとか向いてないとか、合格とか失格とか、ナチュマ マとかイクメンとかではなく。

理久(4歳)に怪我をさせてしまった。。(>_<)
過ごしやすく暖かい日で、買い物前に三橋公園に行こうかー!と、大喜びで家を出た理久。
いつもは、車の後部座席に3人で座るのだけど、今日は何となくスペース広く乗りたいな、と思い、「理久は前に乗ってねー」と話し、「うん!」という元気な声に安心し、私が想次と一緒に後部座席に乗り、車のドアを閉めた途端に、理久が大泣き!
指をドアに挟んでしまった!!

えっ?何でそんな所に指があったの!? と、起きた出来事に動揺しつつも慌てて確認したら、爪が内出血してる!
泣き続ける理久を夫が抱っこしてくれている間に、保険証を取りに家に戻り、iPhoneで日曜診療を検索。動揺しているので、うまく検索できない。
夫が「さいたま市医療ナビに電話してみたら?」と言ってくれ、電話帳に登録してあったので、すぐに電話でき、状況を説明したら、近くの今日やっている整形外科を紹介してくれた。
(さいたま市医療ナビ、素晴らしいー!)

レントゲンも撮ったけど、結果は何ともなく。
うー、ほんとに良かったー!!
ショックと痛さでずっと泣いていた理久も、夫が優しくケアしてくれ、大好きな丸亀製麺(飴がもらえるから好きなんだとか)でうどん食べて飴舐めて、近くにあった公園に行き、ちょっとずつ元気を取り戻し、楽しく遊べるまでに回復。

「お見舞いのケーキを買おう!」と夫が提案、そのお陰で夜ご飯も(食べさせてもらって)完食。
ケーキを前にはしゃぐ理久

“早く治りますように!”とみんなでロウソクを吹き消し、「理久、ケーキは自分で食べられるじゃん!(笑)」とツッコミつつ、私もようやく心から笑えたのでした。

明らかに自分が悪い。
子どもがちゃんと車に乗り込むのを確認すべきだったし、そういう行為って、ごく自然に身に付いていてしかるべきものだし、色々自分でできるようになってきた年齢だからこそ、見守らないといけなかったのに。。
しかも私、理久の指挟む事件、これで2度目。(2歳の時、窓に挟んでしまった。。)
反省、落ち込み、申し訳なさ、という気持ちと同じくらい、
「母親失格。。うっかり者は母親なんて向いてないよ。。」という気持ちになってしまい、いやいや、そうじゃないだろう!と自分ツッコミ。
親である事に合格も失格も無いし、向いてるとか向いてないとかでもない、確かに私はうっかりしすぎているけど、それは何とかしよう!と取り組もうよ、開き直るんじゃなくて!と、自分に言い聞かせる。

そんな折、こんな雑誌を買いました。
「ナチュママ」創刊号。

あ、いや、すいません、ナチュママとはかけ離れたタイプな上に、特に目指してもいないんですが、(ってか、ナチュママって何?)この特集「子育てシェアを始めませんか」を読みたくてっ!
と、心の中で書店員さんに言い訳。f^_^;(なぜ??)

特集記事、「マドレボニータ」に「ドゥーラ」に、「知ろう小児医療、守ろう子ども達の会」、「ファザーリングジャパン」が丁寧に取材されていて、読み応えがありました。

北欧スタイルとは程遠く散らかった部屋の中で、絵に描いたような幸せな家族の一コマを読みながら思う。この、切り取られた一コマのそれ以外の日常がみんなあること。
どんなスタイルであれ、少しずつ親になっていくのだ、と。
合格とか失格とか、向いてるとか向いてないとか、ナチュママとかイクメンとかの言葉や記号で自分や周りを括ってしまうのではなく、子どもにとっての安心安全空間を作っていくために、できる事をやっていこう。

ほんとに、気を付けないとな。。一瞬の目離し、大丈夫だろう、という無意識の思い込み、危険だ!!

◆オマケ◆
怪我した翌日は祝日で休み。
「やだー!保育園がいいー!」と理久。
「なんで?」と聞くと、
「怪我した爪を、お友達に見せてあげたい!」だそうで f^_^;
子どもって。。

2013年10月28日月曜日

『人からどう見られているか、を意識しない』という傲慢さ

気持ちいい天気の日曜日!公園と子どもって、本当によく似合います!
 
そんな日曜日、キタカンボニータ発起メンバー3人(私たちは、キタカンCafeと呼んでいる)で朝Skype。
いつもは、議題てんこ盛りなので、まずはそちらを、って感じであれこれキタカンについて話すのだけど、昨日は雑談中心。
その中で、あー、そうかー。と思った事があった。

『自分が思う自分』と
『人から見られている自分』がある。
そのどちらも、自分という人間であって、どっちもないがしろにしちゃいけないよなぁー、と。

私は、この、
『人から見られている自分』にあまり興味が無く、たとえそこに誤解があっても、ま、いーか!と思ってしまい、丁寧にその誤解を解く、とか、相手の不快を取り除く、といった作業を避けて通ってしまいがち。

それでいいと思ってたけど、それはあまりに傲慢な態度なんだなー、相手にとっては、『コミュニケーションを断ち切られた』って感じるものでもあるんだなー、という気付きがあった。

焦ったり、余裕が無くなったりすると、自分のそういう傾向が顕著に表れるので、あまり焦りすぎないようにしよう。(基本、せっかちなので、なかなか難題ですが)

この、“あ、そうかー”っていう気付きって、常に得られるわけじゃない。
言葉を尽くして伝えてもらっても、全く届かない時もあるし、逆に、たまたま電車内で見た広告に、あっ!て思うことも。

最近、仕事帰りの電車で、A5版のノートに、今日できた仕事とできなかった仕事、それから“気付き”を書き残す事にしているのですが、自分が自分のために書く“気付き”って、ほぼTO DOリストと同じで、大した気付きじゃないな、って、読み返すと感じる。

やっぱり、誰かに伝えたいと思い、言葉を整理する中で、「あっ!」という気付きが起こる気がするなー、それにはやっぱり、ブログは有効だな!と思った次第です。
書き残さないと、すぐ忘れちゃうしね(笑)

2013年10月21日月曜日

映画「そして、父になる」

先日、夫と「そして、父になる」を観てきました。
えー、文中、力一杯ネタバレしてるので、まだ観てない人は読まないでね!

いろいろと思うところあり、でも、泣くとかではなかったかな。
全体的に、淡々としたトーンだったのもあるかも。
個人的には、リリーフランキーと真木よう子夫妻がツボ(≧∇≦)
(リリーフランキーって好みなんです!)

あと、ポーカフェイスながらも、自分を変えようとする福山にけっこう共感。
というのも、私は、子ども大好き!夢中になって一緒に遊んじゃう!タイプではなく、
子ども産む前も、動物も育てたことないのに、いきなり人間育てて大丈夫かな、
と本気で心配してたくらいで(笑)

もし自分が男だったら、いくらでも仕事に逃げてたんじゃないかと思う。

リリーフランキーのような父親、子どもには嬉しいだろうな、と、
複雑な気持ちを抱える気持ちが分かるなーって感じた。
で、なんか。。福山、尾野(が演じている)一家に違和感があるんだよなー、
とずっと思ってて。
そんな折、このツイートを見て、あっ!と思いました。

@kanako819: 【吉10月2W⑬】シェアリング:マコ先生「映画『そして父になる』を観てすごい違和感あったのは、主人公の妻が自分の希望を主張せず、裁判任せにしてしまうところ。産後6年間…自分の気持ちを麻痺させて生きていると、自分の本心にも気づけなくなる。それは実は、産後のこの時期から始まっている」
*なかいくん先生のツイートより引用させてもらいました

そう、妻が、公共の場で一度も、自分がどうしたい!って言わないまま、裁判の結果が出てから『あなたに任せれば大丈夫って言ったじゃない!と、夫に怒りをぶつけるシーンに違和感を感じたんだった。

あと、子どもが、ある日突然、知らない人の家で過ごさないといけない、しかも、その家のおじさんをパパと呼べという理不尽な事言われ、「強くなるためのミッションなんだ!」とか言われて、「うん、分かった。」と、いい子に!?頷くところにも激しく違和感。
んー、ずっと いい子、である事を求められ続けると、自分の頭で考える、感情を出すって事ができにくくなるのかな、と。

リリーフランキー、眞木ようこ演じる夫妻の子どもが、
同じこと言われて、
「なんで?パパとママじゃないやん。」と返答。
「何でも、だ。」という返しに、
「何でも、の、何で、が分からん!」
と繰り返す(そりゃそうだよねー!)のと対象的に描かれていて、印象に残った。

で、そんな反抗していた子どもですら、徐々に日常に馴染んでいこうとし、
お父さん、お母さんと呼ぶ。
やっぱり、子どもには一緒に暮らす大人が必要で、その大人を好きになりたいと思う、
その様子に痛々しさすら感じたけど、子ども自身に今を楽しむ力がある事も事実。

子どもが、いろんな大人と触れ合う機会ってやっぱり大切だなー。。
などなど、振り返って言葉にしてみると、いろいろ感じた事を再確認できるのも楽しい、そんな映画観賞でした!

ちなみに夫は、福山の葛藤、変化しようとする様子、自分ならどうするか。。など考えさせられるところが面白かった、と言ってました。


2013年10月12日土曜日

自己肯定感7~僕もあなたも大して変わりはしない~



金木犀の香りを嗅ぐと、秋だなーって嬉しくなりますね。
とはいえ、今週末は夏のような暑さ!
10月だというのに、毎日半袖で出勤している私。
気候が変わってきてしまっているなぁ・・・と感じています。
 
さてさて、予告通りの週2更新ができて満足している私(笑)
 
自己肯定感が高いってどういう状態か、についていろいろ考察してきた
この連載ブログですが、今回をもって最終回とします。
最終回にふさわしく、自己肯定感高い界のまさに王様、
YO-KING(真心ブラザーズ)の、自己肯定感高い歌をご紹介します!

 
「拝啓、ジョンレノン」
真心ブラザーズの名曲です。
かっこいーーーー!!!
 
特に好きなのがここの歌詞。
「拝啓、ジョンレノン
僕もあなたも大して変わりはしない
そんな気持ちであなたを見ていたい
どんな人でも僕と大差はないのさ
 
拝啓、ジョンレノン
そんな気持ちで世界を見ていたい
雨も雲も太陽も時間も目一杯感じながら僕は進む」
 
まさに、これこそが、自己肯定感高い状態だと思うのです。
この歌を紹介したいがために、今までの6回分を書いてきたといっても過言ではありません(笑)
 
あの天下のジョンレノンに向かって、
「自分と大差はない」と言い切るこの無敵な感じ、いいよねー!
 
でも、本当にそうだと思います。
だって同じ人間じゃん。(でかい括り!)
 
自分が一番すごいと思っていた小さいころから、
実はそうでもないと感じる思春期を過ぎ、
大人になると、いつのまにか、
”すごい人”と距離を置いてしまう。自分はそうはなれないと思ってしまう。
”立場が上の人”にへりくだり、自分は物事を動かせないと思ってしまう。
または、立場に左右されてしまう。
 
そういうのって、つまんないよなーって思うんです。
 
まずは、物事を、世の中を、ニュートラルに見ていきたい。
その中で自分が何を感じ、何を考え、どう行動にうつしていくかを決めていきたい。
その根底にあるのは自己肯定感の高さで、それはどのように育まれていくものかは、
結局のところ、
”今の自分”に、自分でOKを出していく!
そこからしか始まらないような気がします。

2013年10月6日日曜日

自己肯定感6~子どもの自己肯定感~

最近、とある連載ブログを毎日心待ちにしています!
で、思ったのが、やっぱり連載ブログって、ほぼ日刊なのがワクワク感を掻き立てられるなー!と。
この連載ブログも、ほぼ日刊・・を目指して、週に2回くらいは更新したいな!
と、勝手に〆切に追われる作家気分で(笑)書いていきたいと思います!
(こういう自作自演が大好きなのも、自己肯定感が高いからかな!(笑))

さてさて。
今回は、子どもの自己肯定感について。

子ども(特に3~4歳児かな?)って、自己肯定感高いですよねー!
自分大好きだし、新しい事ができるようになったら自慢したいし、
友達がやっている事は自分もできると思っているし、
”負ける”とか、ありえないと思ってる。
(だから、勝負事で負けた時の荒れっぷりといったら・・・)

それはおそらく、子ども達には”絶対評価”という基準しかないからかな、と思います。
それが、何歳頃からかは分からないけれど、
”相対評価”という基準を知り始めた頃から、
自分と誰かを比較することを覚えた頃から、徐々に自己肯定感は下がっていくのかな、と。
そして思春期を迎え、自己肯定感は乱高下を繰り返し、
段々と安定していくようになるのかなーとイメージしています。

最近は、
「自己肯定感を高める子育て」というのがブーム?のようで。

ググってみたところ、こんな説明が出てきました。
”自己肯定感とは、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態。
幼少期の生活・教育環境によって大きく左右されると考えられており、
教育上の重要な要素だと考えられている”
(出典:はてなキーワード)

幼少期に、”ありのままの自分”を受け止めてもらったかどうかが、
自己肯定感の高さに影響してくるらしいです。

なるほど。
それは確かに大切な事のように思います。
でも、親が子どもに与える影響って、絶大なところもあるかもしれないけど、
それが全てかと言われると、そうでもないんじゃないかなーって思います。
例えば、自己肯定感が高い私が育てた子どもが、
必ずしも自己肯定感が高い大人に育つかと言うと、そうじゃない可能性もある。
子どもには1人1人個性があるし、どんなことも合う・合わないがあるので。

親が子どもにできる事って、物理的に生きていく環境を用意する事以外には、
実はそんなに無いんじゃないのかなーって思います。
いや、いろいろあるんだろうけど、それぐらい身軽な気持ちで丁度いいんじゃないかな、と。

で、何でもかんでも親(含め人)のせいにしない、っていうのが自立で、
その自立を促すためには、
親が自分の人生を楽しみながら精一杯生きている姿を見せるのが一番なのでは、と思うのです。

親(特に母親)になった途端、
「子どもの成長が自分の生きがい!」というのが良し、とされる風潮になりますが、
実はそれは、”自己肯定感を高める子育て”と真逆の行為ではないのかなー。
自分の身を削ってまで子どもに愛を注ぐ!とか、美談になりやすいけど
もちろん時と場合によってそれも必要だけど、
身近な大人が、自分で自分を楽しませながら、自分を大切にして生きている姿を
見せる事の方がずっと大事だと、私は思います。

さて、次回は、自己肯定感高い界(どんな界だ!)の王様、YO-KING(真心ブラザーズ)
の、自己肯定感高い歌について!

(おまけ)
4歳児、運動会のお土産でもらったパカポコ(正式名称分からん)を
すぐに乗りこなし、
「すぐにできちゃった!!理久って・・・すごーい!!」
と、自分にうっとり(笑)
思わず笑っちゃうくらいの自己肯定感の高さ!
何歳までこんな発言が聞けるかなー。

2013年9月10日火曜日

自己肯定感5~障害や壁にぶつかった時は?~

いやはや、夏休みを楽しんだり、イベント続きだったり、
子ども達の病気対応に追われたりしているうちに秋になってきました。
えー、忘れた頃に連載の続きです(笑)

前回、「読者からのお便り募集中!」と書いたのですが、
残念ながら読者からのお便りは無かったので(笑)、
ずーっと前にマドレ事務局ちいさんから頂いていた質問にお答えしようと思います!
(ちいさん、お待たせー!(^^)覚えてるかな!?)

質問
「大きな障害や壁にぶつかった時はどうやって乗り越えますか?」

”大きな障害や壁”と聞いた時、すぐに思い出すのは、5年前かなー・・
仕事で大きな失敗をして、会社に迷惑をかけた時のこと。
大抵のことではあまり落ち込まない私ですが、さすがに深く反省し、
1週間くらい落ち込んでいました。
なにしろ、自分でもびっくりするくらい初歩的なそして致命的なミスで、
一体どうしてそんな事しちゃったんだろう・・と、自分が信用できなくなったからです。

「自分で自分の事が信用できなくなる」
逆に言うと、当時の私は、今よりもっと自分を過信していたという事だと思います。
若気の至りだと思いますが(笑)、自分に自信があったし、
できると思っていた(何がだ、という感じですが・・)。
もっと自分を良くしたい、成長していける、
こんなもんじゃない、と思っていました。

でも、この失敗で(そしてこの時期、いろんな失敗が続いた気が・・)
鼻がへし折られたというか、
あー・・・・自分って、こんなもんかー、こういう悪いところがあるな、と、
いい意味で肩の力が抜けた気がします。

そう考えると、自己肯定感が高い=自分に自信がある、という事ではないんですよね。
むしろ、自分はこんなもんだよねー、と認めているのかな。

大体こういうミスをするから、人にお願いして確認してもらおう、とか
忘れ物が多いから、忘れちゃいけないものはバッグにあらかじめ入れておこう、とか
しっかりしてる人に渡しておこう、とか。

自分を成長させる事、変化させる事で何とかしよう!
もっともっと頑張らないと!と思うことではなく、
障害や壁にぶつかった原因は何なのか、それを客観的に見て、
自分という人間を観察し、人や物に頼り、対策を考える。

障害や壁にぶつかった時は、当然落ち込むわけですが、
それはそれとして、ちょっと一息ついたら、
さてさてこの対策は・・・と考えるようにすると、気持ちも浮上してくる気がしています。

そして、今でもよく覚えているのですが、5年前に1週間の落ち込みから回復した時のこと。

毎日、トボトボと下を向いて歩いていたのですが、
あんまり夜空が眩しいので、ふと上を見上げると、その日は満月。
とても綺麗な月を見て、
「あー・・・美味しそうな月。ホットケーキ食べたい・・・」
と思い、そんな事を思った自分になんだか笑ってしまい、あ!!回復した!と。

障害や壁にぶつかった時には、空を見上げたり、緑や花を見たり、
そこにある自然に意識を向けるといいです。
「綺麗だなー」とか「いい匂いだなー」とか
勝手に湧き出てくる気持ちが、”障害”や”壁”や”落ち込み”に集中するのを
防いでくれる、そんな気がします。

↓そんなわけで、自然の写真!秋の始まりの美しい空、夕方です。
(なんか写真でかいけど・・どうやって小さくするんだろーう)


さてさて、地味にまだまだ続いていきます!
次回は第六回、子どもの自己肯定感、について。

2013年8月13日火曜日

二度目の産後、1年

昨日は、産後1周年記念日でした!
(昨日中にアップしようと思っていたのだけど、寝落ちしてしまったー)

想次も、小さく産まれたり、二回入院したり、なかなか食べなかったり、
ハラハラする事が多かったけど、小さいながらもたくさん食べるようになり、
元気に過ごしていてホッとしています。
 

↑バナナに夢中な今朝のショット

一年前の事を思い返すと、すごく幸せな気持ちになります。
出産の神秘に、ではなく(出産はあっと言う間だった)、
産後、産褥期を家族や友人に助けてもらい、
その助けによって、私たち家族が新しい『家族の形』を作っていく姿に
立ち会ってもらっていた、支えてもらっていたな、と思い返すので。

「産褥ヘルプ」と呼んでいるのですが、

「家族水いらずで過ごしてね~、落ち着いたら遊びに行くね!」となりがちな
産褥期(産後1ヶ月間、産婦が体を休めなくてはいけない時期)に、
ケーキではなく体に優しいご飯を持っていったり、
「赤ちゃんかわいいねー!」だけではなく、赤ちゃんの沐浴をしたり
ご飯作ったり洗濯物畳んだり、上の子がいれば上の子と遊んだり、
産婦とお喋りしたり、その”ヘルプ”を≪お祝い≫としてプレゼントする、という文化です。

一言では説明しきれないので、詳しくは、「産褥記2」を読んで頂ければ!
こちらのブログ(byもこちゃん)にも、かなり詳しく載っています♪

自分では出かけられない時期に、お祝いに会いに来てくれる。
外の風(とかご飯とか上の子の遊び相手とか(^o^))も一緒に。
ほんとに、最高の出産祝いだなぁって、私は感じました。

一人目の産後は、実家に里帰りして、それはそれで幸せに過ごしました。
慣れた場所だし、何の遠慮もいらないし、楽だし、親も喜んでいたし。

でも二人目は、いろんな人に助けてもらいながらも、
私と夫が中心となって、妊娠中に産後の手配をあれこれしたり、
話し合ったり、グーグルドキュメントでスケジュールを作ったり(といっても
2週間出産が早まって、作り直しだったけど・・(^^;)、上の子のケアをしたり。
共に産後を乗り切ったことで、ぐっと連帯感が強まったなぁ、と感じました。

あの産褥期があったから、想次の2回の入院も、当たり前に2人で対応できたのかも。

こういう話をすると、
「パートナーに理解があって(しかも具体的に動けて)いいね」
「友達がいていいね」
など、「あなたは恵まれている・・、でも私はそうじゃない」
という論調になりがちなんですが、
本当にそうかなあ?って思うんです。

私が恵まれている事は否定しないんですが(笑)、
少なくとも私は、自分の身体の快適さは貪欲に追及したいと思っているし、
そのためにできる事はなんでもしようと思っているし、
簡単にあきらめたくないなーって思っています。

1人じゃ妊娠できない。
これ、当たり前ですよね。
じゃあ、当然、子育てだって1人じゃできないし、
共に妊娠に向けてのアレコレをしたパートナーと、
一緒になって家族を作り上げていきたい。
でも、2人だけでなんとかしようとするんじゃなくて、
いろんな人の手を借りながら。
ってことを、”理想”として語ったり押しつけたりするんじゃなくて、
それを目指しながらすったもんだやっていきたいですよねー。
 
この産褥ヘルプ、経験すると、やたら還元したくなるし、広めたくなります!
 
でも、産褥ヘルプいいね!から、やろう!までには、
いくつかの壁というか扉というか、は、あるなー、と。
それを、扉と感じてほしいな、って思います。
壁は、登るか壊すかしか無いけど、扉はいろんな開け方があるから。
 
 
1年前の写真。
みんなー!ありがとうございましたーーー!!

ちなみに・・
出産祝いをもらったら、「内祝い」を贈りますよね。
私は、この産褥ヘルプの「内祝い」として、
マドレ基金に寄付しました。
そして、来てくれたみんなに、マドレ本(全部持ってそうな人には、
オススメ本)をプレゼント!
これ、我ながら粋だなーーー!!(自画自賛・笑)と思ったので、
これから産褥ヘルプを受ける人にオススメいたします!

2013年8月8日木曜日

自己肯定感4〜書を捨てよ、町へ出よう!〜

そんなこんなで、思春期真っ只中、変身願望を常に抱えながらも、家で本を読む事しかしていなかった私でしたが、高校の英語の先生(バックパッカーで、世界中を旅していた話をよく聞かせてくれた)の影響で、旅人や海外に興味を抱くようになり、高校2年の時、高校で主催していた、オーストラリアでの2週間のホームステイに行く事に。

家を出る事すらあまりなかったのに、2週間も海外へ!!
しかもホームステイ!
これはもう、帰ってきた頃は、英語ペラペラ、ネクラ返上、憧れのキラキラ女子(笑)に変身しているに違いない!
と、前日の日記に、
「さよなら、今までの私。」とか書いちゃうくらい盛り上がってました。

で、オーストラリアでの2週間。
楽しい事も、もちろんたくさんあったのですが、今思い出せるのは、ワラビーがダラダラしてた事とか、学校訪問で話した子はおとなしめな子で、オーストラリア人にもネクラな子(決めつけ(^^;;)はいるんだな、とか、砂糖工場の匂いとか。割とどうでもいい事ばかりなのは何故だろう。。
旅って、そういうところが面白いですね。

で、帰りの飛行機の中。
私は、すごい事実に気付きました。

「私。。変わってない!!!!」

機内の音楽プログラムでは、日本のヒット曲のチャンネルがあり、大好きなフミヤの「Another Orion」が流れていて、嬉しかった事と併せて、この時の気持ちを、すごくよく覚えています。

がっかり、とかじゃなくて、なーんだ!と、気が抜けた気持ち。
すごい事にチャレンジしたのに、全然変わってない。
自分がまるごと変わるなんて、そんな事はないんだなー、と。

今思えば、この時初めて、「自分を丸ごと引き受ける」事をした気がします。
そして、この時から、少しずつ、自己肯定感も高くなっていった気がします。
一足飛びではなく、積み重ねるように。

本を読んだりTVを見たり話を聞いたりするのとは違う、行動する事で気持ちが動く、という事も、この時に身を以て学んだ事。

この、帰りの飛行機での気付きから17年。
いろいろな人との出会いもあり、出来事もあり、今の自分が形成されているのですが、振り返ると、この気付きが一番大きかったな、と、ブログを書きながら思い返しています。

さてさて、この連載、まだ続きます!
次回は、読者からのお便りにお答えします。
こんなこと聞きたい!というご要望ありましたらぜひ(^o^)


2013年8月2日金曜日

自己肯定感3 思春期という闇

「人からどう見られているか、がそんなに気にならない。人の目から見た自分も、自分が思う自分も、両方自分。“自分らしさ”をコントロールしようと思っていない」という事も、自己肯定感が高い理由の一つだと思っていますが、そんな私が、人目ばかり気になる時代がありました。

それは、思春期!!!

もともと、父と一緒になって「ボロは着てても心は錦!」とか言ってたくらいなんで、オシャレとかには全く興味が無く、ダイエーで買ったNIKEのニセモノ、NICEのセーターとか、Goalway(カジュアルな服を倉庫みたいな所で売ってる店)で買った、なんかヘナッとしたカジュアル服を平気で着ていた私。(ある意味すごいセンス)
周りが徐々に色付き始めた頃から、自分のダサさを気にし始め、自意識過剰になっていきました。

平日は制服があるからいいけど、休日は何を着ていいか分からず、周りに笑われている気がして、同級生に会いたくない。
自分の顔も嫌だし、こんなに気にする性格も嫌だし、反抗期だから親とも話したくないし。
大好きな本や漫画を読んでいる間はすごく楽しいけれど、本や漫画の主人公みたいに、何かドラマが起きるわけでもない。
漫画だったら、眼鏡を外した途端に可愛くなったりするけど、私は眼鏡もしてないし。(そこか!?と、自分ツッコミ)
変わりたいけど変われない。
夏休みが終わったら、ステキ女子に変身しているはずだったのに、残った宿題を慌てて仕上げてるのは、全く変わっていない冴えない私。 

てな感じで、今でこそ、
「何の行動もしてないんだから変わりようがないじゃん!」とツッコミを入れられるのですが、当時は何しろ10代。
時間だけはたっぷりあるので、好き放題(笑)悶々として、同じように悶々としている友人と語ったり、ラジオを聞いて投稿したり、悶々とした10代が主人公の小説やエッセイ(林真理子の「葡萄が目に染みる」、大槻ケンヂの「グミ•チョコレート•パイン」など)に共感しまくったり。
思いの丈をノートに書き連ねたり。そこに写真や絵を貼り付けて、銀色夏生風にしたり、などしていました。

いろいろな本や漫画を読んだけど、本当は私自身が主人公になりたかった。
これからどこに向かい、何をするべきかを知りたかった。
どうしたら、理想とする姿になれるのかを知りたかった。
そもそも、理想とする姿すら思い浮かばなかった。
今の自分はその姿ではなく、一足飛びに“変身”したい、といつも思っていたし、何かのきっかけで、“変身”できるんだ、と思っていた。そのきっかけを、いつも待っていた。

そのきっかけは、自分が作るものだなんて、思いも寄らなかった10 代の私。
自意識過剰で、繊細で、それでいて貪欲に「何か」を求めている、それはおそらく思春期特有のもので、それを味わいつくした、とも言えるのかもしれません。

さて、次回は、そこから今に繋がるきっかけについて!
「書を捨てよ、町に出よう」

2013年7月31日水曜日

自己肯定感2 〜そのルーツ〜

さてさて、連載第二回。

まずは、自分のルーツから探っていきたいと思います。

私の母は、私とは真逆のタイプで、凝り性で、何事もきっちり丁寧にやり、それを相手にも求めるタイプ。 
専業主婦でしたが、朗読や読み聞かせのボランティア、コーラス、役員などで動き回り、私が小学校高学年になった頃から、塾の国語の先生を現在までやっています。
美術館巡りも趣味で、ぐるっとパスを使って、一番安く効率的な方法で美術館巡りをする事に情熱を燃やしており、いろんな情熱の燃やし方があるんだなー、と感心しちゃいます(笑)

何事もちゃんとやらない私に、ずいぶんヤキモキしてました。いや、現在進行形で、今もヤキモキしているような、諦めてるような(笑)

父は、団塊の世代の仕事大好きサラリーマンを全うし、退職後はキャリアカウンセラーの仕事をし、その職場が無くなってからは、社会保険労務士(だっけ。。)の資格を取る勉強の真っ最中。
私は父に性格がそっくり。
父も、自己肯定感高いタイプで、うっかりしていて忘れっぽく、物を無くしたり味噌汁こぼしたりするたびに母に怒られ、でも全然応えていない、という(笑)
着る物とかにも頓着せず、「ボロは着てても心は錦!」と言い、2人して小汚い格好をしていました(笑)

振り返れば、両親から「こうなりなさい、ああなりなさい」とかはあまり言われた事がない気がします。忘れてるだけかな(笑)

休日は、父と一緒に図書館に行ったり、母と一緒に新聞の間違い探しをやったり。
母のコーラスの練習を録音したテープ(マメマメマ〜、とか歌ってる)を聞きながら夕飯食べたり、父の会社の武勇伝の話を聞いたり、兄の部屋から「こち亀」や「大甲子園」を借りてきて読んだり。
そんな日常の積み重ねの子供時代でした。

不思議なのは、こうして振り返ってみると、単身赴任などで不在な事も多かった父の存在を、私はいつも感じていたという事。
おそらく、今の自己肯定感が高い私のルーツは、自分と似た性格の父と、正反対の性格の母、双方にそれぞれまるごとの自分を受け止めてもらい、育てられた事にあるのかな、と思います。

それは、「愛してるよ」と毎日言う、とか、そういう形式的なものではなく、何てことのない日常の積み重ねの中に感じる何か、であるような気がします。

そんな私に、思春期の闇が襲いかかる!次回は、暗黒のネクラ時代!

2013年7月30日火曜日

自己肯定感

YO-KING(真心ブラザーズ)、くろろん(マドレボニータのビッグマザー)と並んで、自己肯定感が高い事で(ごく一部で)知られている私ですが(笑)、それはどうしてなのか?と、よく聞かれるので、自分でも振り返ってみたいと思います。

まず、自己肯定感が高い状態ってどんな状態か?
私なりに解釈すると、
○自分は何ができるってわけでもないけど、何もできないって事は無いだろう、と思っている

◯いい事が起きた時や、褒められた時、必要以上に喜べる、調子に乗る、でも別に褒められる事に価値を置いていない

◯悪い事が起きたり失敗した時、必要以上に落ち込んだり自分を責めたりしない、というかすぐに忘れる

◯「ま、いっか」が口癖だけど、投げやりになっているわけでも諦めてるわけでもなく、淡々と事実を受け止めた、という意味

こんなイメージ。

「自分大好き!」とか、「オプティミスト!いつも物事のいい面を見て!」とかではなく、もっとアッサリした感じ。

さてさて、次回から、なぜそうなったのか、を、紐解いていこうと思います!

2013年6月30日日曜日

産前産後に大切なことは、みんなマドレボニータから教わった

マドレボニータのことを書きたい、というのも、ブログを始めた一つの動機なのですが、
なかなか書けずにいました。
”内輪向けじゃない文章で、分かりやすく簡潔に言い表す”というのが、これほど難しいとは・・。

自分が大切にしているもの・人・事を、丁寧に分かりやすく説明する。
そこに自分の想いも込める。
それが表現で、表現し続ける事が生きている証だと思うので、
難しいのは当たり前、そこに取り組んでいきたいです。

さて、本日のタイトル。
”産前産後に大切なことは、みんなマドレボニータから教わった”
これは、2回の妊娠・出産・産後を通して、つくづく感じていることです。

NPO法人マドレボニータとは。

”マドレボニータ”とは、スペイン語で「美しい母」という意味です。
「美しい母がふえれば、世界はもっとよくなる」をキャッチフレーズに、
「子育ての導入期」という最も不安定な時期にある女性の心と身体の健康をサポートしています。
(NPO法人マドレボニータ websiteより抜粋)

具体的には、
産後のボディケア&フィットネス教室で、バランスボールを使った
有酸素運動、シェアリング、セルフケアの3本立てのプログラムを開催したり、

そのプログラムを開催するインストラクター(産後セルフケアインストラクター)
養成したり、

NECワーキングマザーサロン
(「母となった私たちの、「はたらく」を語ろう」をテーマにしたワークショップ)
を開催したり、

産後の調査・研究・考察をし、それを白書機関誌「マドレジャーナル」にまとめたりしています。

その活動に共感し、応援したい、参画したいという人は、会員になれるので、
私も正会員として参画しています。
キタカン☆ボニータという、北関東までマドレボニータを広めちゃおうー、という
会員同士のコミュニティも作って、いろいろ活動しています。

では、私をそこまで駆り立てるものは何なのか。
私がマドレボニータから教わった、”産前産後に大切なこと”とは。

ずっと、それを一言で説明するには・・と考えていたのですが、
この前届いた「マドレジャーナル26号」”産後ヘルスケアのプログラムを学ぶ第22回”
の中にあったフレーズに、これだ!と膝を打ちました。

「からだを使って考え、体感を伴った言葉を紡ぐ」

この一言に尽きるな、と。

え?簡単じゃん、やってるよ!
って人は、意外と少ないのではないでしょうか。

大人になると、身体と心が繋がっているという事を忘れ、
気合いだけで何とかしてみようとしたり、
精神論だけで人を動かそうとしたり。
はたまた、自分の考えや想いを伝える努力を怠り、
「とにかくやってみろ!」と言われて動いているうちに、
いつのまにか、体は動くけど、”誰かの受け売り”ばかり口にしていたり。

特に、初めての出来事に対して、自分で体感するよりも先に
あふれる情報が正しいものであるかのように感じてしまう。
産後は、まさにそうで。
簡単に自分を見失ってしまい、あたかもそれが正しい事かのように語られてしまう。

そんな中出会ったマドレボニータのプログラムに、
本当に助けられました。
大げさでなく、”自分を取り戻した”と感じました。

大切なことはいつだって、シンプルなんだな。

そのマドレボニータの創始者、吉岡マコさんが書いていた事。
マドレジャーナル26号にも載っていて、ぶんぶん頷いた文章なので、
何度も読み返すために、ここにも転載します。
(以下、引用)
今までの自分に母親というペルソナが加わることは、
その人のアイデンティティを想像以上に揺さぶります。

そんな時に必要なのは、癒しではなく、文字通りの体力(筋力&持久力)と
自分の言葉を取り戻す作業です。

今は子育てに専念とか、子育てに疲れたママさんとか、
子育てに悩む新米ママとか、子どもを預ける罪悪感とか、
あまりに陳腐で手垢にまみれたフレーズが世に蔓延していますが、
それらが繰り返しインプットされると、それが自分の思いであるかのように錯覚してしまう。

でも、人の人生とは、そんな陳腐な言葉でまとめてしまえるような単純なものではなく、
もっと一人一人がユニークで代替不可能な存在であり、
それが母になったら一気に平坦なものにされてしまう風潮に
マドレボニータは全力で抵抗して、
月齢の浅い赤ちゃんと一緒でも結構な運動強度な有酸素運動をしたり、
筋トレしたり、言葉を紡いだりする機会をつくっています。

そこで出会う人たちの面白さといったら・・・。
この世は本当に豊かなところだということを小さな赤ちゃんにも
感じてもらえるような気がして、嬉しくなります。
(出典:「マドレジャーナル」26号 p14)

何度読んでも、大好きな文章!

そして、”まずは体力!コミュニケーションにも体力がいる!”という
マドレで叩き込まれた事は、頭でっかちになりがちな時、
そうそう、と思いだし、体を動かすきっかけになっています。

更に、踊れる体にまでバージョンアップ!
・・・するのには、固すぎる体ですが・・(汗)
千里の道も一歩から、少しずつでも体を意識した時間、増やしていきたいです!


2013年6月10日月曜日

3歳児との穏やかな時間

想次入院中の週末。
昼間は、夫と付き添いを交代、2日連続で、理久と過ごして感じたこと。

穏やかな時間が増えたなぁ!
できる事も増えてる!
あと2ヶ月で4歳。
子育て第二ステージに入ってきたのかな、と。

一日目は、保育園の友達家族と、近所の森や公園へ。ストライダーでツーリング!

途中、喧嘩して大泣きして、セブンイレブン内をなぜかハイハイで這いずり回る(笑)
という、ハイ、きたー!みたいなのもあったけど、
楽しく遊んで、別れを惜しみ、

 「お父さんがお迎え来るまで、うちで遊んでく?」のお誘いに、
「うん!!」と大喜び!
「お母さん、また病院に泊まるから、今日はここでバイバイだよ。大丈夫?」
と聞いたら、二つ返事で「うん!大丈夫!」
2時間くらい、泣くこともなく、楽しく遊んでたとのこと。

親が、ちゃんと迎えに来てくれる、今夜会えなくても、また会えるって分かってれば、
大丈夫なんだなー。
いつの間に!と、嬉しい驚き。

二日目は、家で用事を済ませてから、図書館と買い物へ。

私がいろいろやっている間、ずっと車遊び。あまりに真剣だったので、思わず激写!


ハンガーの中にミニカーがぴったり!創意工夫(^o^)

図書館では、車コーナーの後、せなけいこ本を物色。


2人でソフトクリームを食べて


スーパーで買い物。
茶色と白のツートンカラーの床で、茶色の部分だけを踏んで移動する、
というマイルールを決めたらしく、ジャンプしたり斜めに歩いたり、
やたら時間がかかったものの。。

なんだか、穏やかな時間だったな。
親の意識が、自分にしっかり向いている安心感があるからなのかな?

時々、こうして一対一でじっくり過ごして、その変化を見守っていきたいな、と思った週末でした。

☆おまけ☆
想次、入院5日目。
薬を入れてた点滴の針を暴れて外した後の笑顔。
も、もう退院でいいんじゃないかと!