2014年10月7日火曜日

手放さない

台風一過の夕方、会社の外に出たら、空が澄み切っていて美しく、
月はピカピカに光っていて、夕焼け色の雲がたなびいていて、
いつも通り自転車をかっ飛ばしながらも、
すごく気持ちがリフレッシュされるのを感じました。
 
あー、やっと気持ちが落ち着いてきたな、と。
感受性が戻ってきたなー、と。
理久の突然の入院と喘息宣言から2週間。退院から1週間。
ずっと緊張状態だったんだなーと実感。

2週間前を振り返って、記録しておきたいと思う。

2週間前の今の時間は、今振り返れば救急車を呼ぶべき、または
もう一度救急に行くべきタイミングだったかな、と感じる。
朝は咳などしていなかったのに、夜保育園に迎えに行った時には咳をしていた。
夜中ずっと咳が止まらず、夜中に一度救急へ。
その時はまだ比較的元気で、咳をしながらも
「ここ、想次が来た病院だね。」と話をしていたし、
吸入を待つ間、特急ジャー特集を読む余裕もあった。

「この症状は喘息ですね。今まで治療はしていないですか?」
と聞かれ、とても驚いた。
想次は喘息だと診断され、毎晩薬を飲んでいるけど、
理久はそういう診断はされたことなかったし、丈夫だと思っていたから。
2回吸入して、診察。
大丈夫だろう、という事で帰宅。

でもこの後、咳込んで吐いたり、
「苦しい」と言ったり、悪化していたので、もう一度救急に行くか、
でも連れて行く事で余計に疲れさせてしまうかも、さっき帰されたし・・
と悩んでいるうちに時間経過、
救急車を呼んだ方がいいのか、それともあと1時間待った方がいいのか
(この時点で8時くらい)
と悩んでさいたま市医療相談に電話。
(この時、楽観視する夫と喧嘩。
「医療相談に電話してみたら」と言われ、
「たまには自分で電話してよ!何でいつも私が電話して判断する係なの!」と。)
 
「加湿したり、お風呂場でシャワーを出したりして様子を見て下さい。
唇の色が紫だったりしたらすぐに救急車を呼んで下さい。」
という事だったので、抱っこしてお風呂場に行ったりしていたけど、
「苦しい!」と叫んでいたので、今思えばどうしてあの時救急車をすぐに
呼ばなかったんだろうか、私の直感は”救急車を呼んだ方がいい!”と言っていたのに。
そうすれば、もっと早く理久の呼吸が楽になって、苦しい時間が少なくて済んだし、
1週間も入院しなくてよかったかもしれない。
これからは、もっと直感を信じようと思う。
その直感を磨くべく、”こういう場合はこう”という知識も必要だな、と。
字面では何度も読んだりしたんだけど・・・結びついていなかったな。
 
不安と恐怖で、自分以外の誰かに判断を委ねたくて仕方なかったのだと思う。
目の前の子どもの命が、自分の判断にかかっている、という状態が、
怖くてたまらなかった。
「だって、喘息だなんて今まで誰も言わなかったじゃん」
「そんな急に心の準備できないよ!」
と思ったり。

長い長い1時間が終わり、ようやく9時が近付いたので休日診療へ。
想次は夫と留守番。
ここでも2回吸入、でも酸素の値があまり上がらず、紹介されて
市民医療センターへ。
点滴したり、吸入したりして、酸素の値は少し上がったものの、
”ぎりぎり帰れる値ではあるけれど、入院治療した方がいい”という診断。
とても帰れる様子じゃないな、と判断して、入院する事に。
想次の2回の入院は、まだ小さかった事もあって24時間付き添い、を選んだけど、
今回は病院が遠い事もあって、付き添いではなく面会を選ぶ。

入院の説明を受ける部屋に、退院してからの手紙など飾られていて、
そこにこんな詩があった。おそらく小学生の作品。









”楽しい所”と言い切るだなんて、すごいな・・・、と思うと同時に、
理久や想次も、こんな風に病院とは長い付き合いになるのかな、とも。

今回の、理久5歳にして、喘息発症、しかもかなり高いアレルギー値、
入院、という事態に、想次の時には感じなかった”がっくり感”を感じてしまい。
これまで、何があってもそんな風には考えた事がなかったのに、
「あー、もう、子ども達が毎日健やかに暮らせる事だけを考えて、全部あきらめて
そのサポートに徹した方がいいのかな」
「あれがいけなかったのかも、これもいけなかったのかも。
そもそも私が母親だってことがいけなかったのかも。」
なんていう思考がぐるぐるぐるぐる。

でも、自分が今正気じゃないという事は理解していて、それが救いだった。
翌日のTwitterにこう書いた。
「寝て起きたらいいアイデアが浮かんだ、ってことは無いのだけれど、一つ言えるのは、手放す事は解決策では無いということ。日常は続いていくし、これからもこういう日常なのだ、という覚悟が必要で、だからといって何もかも手放す必要は無いし、むしろ細々とでも手放さない気持ちが必要。」

手放さない、と決めれば、アイデアが湧く。そのアイデア、時に妄想が、辛い時に自分を助けてくれる事もある。

夫、双方の両親、双方の会社、友人、いろんな協力があって、無事に入院期間を終え、退院!
ほっとすると同時に、いつまたこうなるか分からない、という緊張感が漂う日常に。

「細々とでも手放さない」ために、どんな取り組みができるのか、色々試している最中の今日この頃です。