日々、働いていると様々な問題が起こりますね。
その問題は職業によって全然違う(はたまた似たような問題かも?)のだろうと思いますが、
少なくとも我々はみんな、
「これらの問題を解決することによって、今日より明日が良くなるように」
と思って働いているわけですよね。
でも、その”良くなる”っていう希望の先にある未来って、どんなものなんだろうー?
と、最近よく考えます。
私は、入社以来、海外との仕事に関わる事が多く、
そのうちの多くは”海外製のものを仕入れて日本のユーザー仕様にして販売の形を整える”
の一部を担う、って事をやっているのですが、
いやー、全品検品が必要だねー、こりゃ!って事が往々にしてある。
わりとどこの国のものもある気がする。
クレームをつけると、
「そんなクレーム言われたこと無い」とか、
「そんな事言うのは日本人だけだ」とか言われたりもして、
えっ?と思うこともしばしば。
今までで一番びっくりしたのは、これはもう時効だから書いてもいいと思うけど、
イタリアの三輪車を仕入れていた頃、後ろの背もたれを入れるパイプが曲がっている!
というクレームをその会社の社長に品物を見せながら話したら、
「ああ、これはこうやって解決するんだよ」と、その曲がったパイプをぐいっと手でまっすぐにして、
スポン!と本体に入れて見せてくれたこと。
もちろん、日本的感覚からすると
「そういう問題じゃなーい!パイプが曲がっている事が問題なんだよー!」
って話なわけですが、
個人的には
「さすがDIY精神が根付いているヨーロッパだわ!」と妙に感心した事を今でも覚えています(笑)
こういう、
”曲がっているなら自分でまっすぐにしちゃえばいいじゃない”
って感覚って、品質が良くなればなるほど、サービスが行き届けば行き届くほど、
どんどん薄くなっていく気がする。
何かその”製品”に問題が起きた時、
それを作っているメーカーにクレームを入れる、使わない、捨てる、
以外にも、”自分でどうにかしちゃう”っていう選択肢もあって、
それには工夫と知恵と経験が必要だ。
そして、人生を楽しく生き抜いていくためにもそんな工夫と知恵と経験が必要で、
でも実はそれらは、便利で満ち足りた生活からは生まれないのではないかなーと思ったり。
私達は、それぞれの持ち場で、一生懸命頑張っていろんなサービスを生み出す。
製品を向上させる。
不便を解消していく。
それぞれの”完璧”を目指していく。
でもその先には、何があるのだろう?
もちろん、個人の感情は抜きにして、仕事に邁進していくわけですが。
少なくとも、工夫と知恵と経験とユーモアを、個人的には忘れずに持っておこうと思う。
どんな未来に向かっていくにしても、それはいつだって必要なものだから。
2014年6月25日水曜日
”分かり合えやしないってことだけを分かり合う”のは、悲しいことなのか?
ここ最近つれづれなるままに考えているパートナーシップ考、
一度言葉にしないと先に進めない!と感じていて。って大げさか。
今、少しだけ時間があるので(次男が昼寝中―!)、まとまりないまま
言葉にしていこうと思います。
先日、マドレボニータのカップル講座に夫と参加し、
(人見知りの夫は、参加するのを相当嫌がっていましたが、
珍しくあきらめずに「一緒に行きたい!」と伝え続け、参加と相成りました)
シェアリングのプログラムがいかにタフであるかを実感しました。
「人生」「仕事」「パートナーシップ」をお題に、
”こうありたい”という希望を象徴する絵を描く。
話し手は、3分間、自分が選んだお題について取り留めなく話す。
3分間、相手の話に口をはさまずに聞き、メモをし、要約して相手に伝える。
お互い”聞き届けた”という証のメッセージとサインを書く。
何度も、何度もやったプログラムです。
でも、夫とやった時、
”お互いの話をこんなにじっと聞き届けるなんて、どれくらいぶりだろう”
と感じ、なんだか泣きそうになってしまった。
夫婦仲はいい方だと思うし、毎日(概ね)楽しく暮らしている。
でも、お互いどんな関係性でありたいのか、
そういう観点からは、あまり自分達の事を考えてこなかったなー、という衝撃がありました。
それは、「好き」から始まった関係だからなのかなー、と思ったり。
恋愛中って、(特に私は少女漫画から多大な影響を受けているので)
「好き」と言えば、それでなんでも済んでしまうようなところがありませんか?
お互いの共通点を確認していく、甘やかな時間。
一度言葉にしないと先に進めない!と感じていて。って大げさか。
今、少しだけ時間があるので(次男が昼寝中―!)、まとまりないまま
言葉にしていこうと思います。
先日、マドレボニータのカップル講座に夫と参加し、
(人見知りの夫は、参加するのを相当嫌がっていましたが、
珍しくあきらめずに「一緒に行きたい!」と伝え続け、参加と相成りました)
シェアリングのプログラムがいかにタフであるかを実感しました。
「人生」「仕事」「パートナーシップ」をお題に、
”こうありたい”という希望を象徴する絵を描く。
話し手は、3分間、自分が選んだお題について取り留めなく話す。
3分間、相手の話に口をはさまずに聞き、メモをし、要約して相手に伝える。
お互い”聞き届けた”という証のメッセージとサインを書く。
何度も、何度もやったプログラムです。
でも、夫とやった時、
”お互いの話をこんなにじっと聞き届けるなんて、どれくらいぶりだろう”
と感じ、なんだか泣きそうになってしまった。
夫婦仲はいい方だと思うし、毎日(概ね)楽しく暮らしている。
でも、お互いどんな関係性でありたいのか、
そういう観点からは、あまり自分達の事を考えてこなかったなー、という衝撃がありました。
それは、「好き」から始まった関係だからなのかなー、と思ったり。
恋愛中って、(特に私は少女漫画から多大な影響を受けているので)
「好き」と言えば、それでなんでも済んでしまうようなところがありませんか?
お互いの共通点を確認していく、甘やかな時間。
お互いを知りたい、分かり合いたい、できれば嫌われたくない。
そんな恋愛中だった頃、
フリッパーズギターの「すべての言葉はさよなら」を、悲しい歌だなーと思っていました。
“カメラの中でほら
夢のような物語が始まる
分かり合えやしないってことだけを
分かり合うのさ”
でも、パートナーシップの構築は、
実はここから始まるんじゃないだろうか。
という事を、最近考えています。
“分かり合えやしないってことだけを
分かり合っている”って、
シニカルな響きがあるけど、
実はすごく力強い事なんじゃないだろうか。
分かり合う、という事を、
それほど求めているんだろうか?
それよりも、
分かり合えないことを前提に
分かち合う、
分かち合いたいとお互いに思える、
そっちの方がしっくり来るような気がする。
(って、今書いてみて初めてそんな言葉が出てきたけど!)
そんな気持ちで聴くと、なんだか希望に満ちた歌だとすら感じる。
そんな雨の日曜日です。
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