2013年8月2日金曜日

自己肯定感3 思春期という闇

「人からどう見られているか、がそんなに気にならない。人の目から見た自分も、自分が思う自分も、両方自分。“自分らしさ”をコントロールしようと思っていない」という事も、自己肯定感が高い理由の一つだと思っていますが、そんな私が、人目ばかり気になる時代がありました。

それは、思春期!!!

もともと、父と一緒になって「ボロは着てても心は錦!」とか言ってたくらいなんで、オシャレとかには全く興味が無く、ダイエーで買ったNIKEのニセモノ、NICEのセーターとか、Goalway(カジュアルな服を倉庫みたいな所で売ってる店)で買った、なんかヘナッとしたカジュアル服を平気で着ていた私。(ある意味すごいセンス)
周りが徐々に色付き始めた頃から、自分のダサさを気にし始め、自意識過剰になっていきました。

平日は制服があるからいいけど、休日は何を着ていいか分からず、周りに笑われている気がして、同級生に会いたくない。
自分の顔も嫌だし、こんなに気にする性格も嫌だし、反抗期だから親とも話したくないし。
大好きな本や漫画を読んでいる間はすごく楽しいけれど、本や漫画の主人公みたいに、何かドラマが起きるわけでもない。
漫画だったら、眼鏡を外した途端に可愛くなったりするけど、私は眼鏡もしてないし。(そこか!?と、自分ツッコミ)
変わりたいけど変われない。
夏休みが終わったら、ステキ女子に変身しているはずだったのに、残った宿題を慌てて仕上げてるのは、全く変わっていない冴えない私。 

てな感じで、今でこそ、
「何の行動もしてないんだから変わりようがないじゃん!」とツッコミを入れられるのですが、当時は何しろ10代。
時間だけはたっぷりあるので、好き放題(笑)悶々として、同じように悶々としている友人と語ったり、ラジオを聞いて投稿したり、悶々とした10代が主人公の小説やエッセイ(林真理子の「葡萄が目に染みる」、大槻ケンヂの「グミ•チョコレート•パイン」など)に共感しまくったり。
思いの丈をノートに書き連ねたり。そこに写真や絵を貼り付けて、銀色夏生風にしたり、などしていました。

いろいろな本や漫画を読んだけど、本当は私自身が主人公になりたかった。
これからどこに向かい、何をするべきかを知りたかった。
どうしたら、理想とする姿になれるのかを知りたかった。
そもそも、理想とする姿すら思い浮かばなかった。
今の自分はその姿ではなく、一足飛びに“変身”したい、といつも思っていたし、何かのきっかけで、“変身”できるんだ、と思っていた。そのきっかけを、いつも待っていた。

そのきっかけは、自分が作るものだなんて、思いも寄らなかった10 代の私。
自意識過剰で、繊細で、それでいて貪欲に「何か」を求めている、それはおそらく思春期特有のもので、それを味わいつくした、とも言えるのかもしれません。

さて、次回は、そこから今に繋がるきっかけについて!
「書を捨てよ、町に出よう」

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