Eテレの、『フックブックロー』のエンディングで流れる「物語は続いてる」の歌が好きです。
歌詞が毎回違うと思ったら、歌う人によって変わるんですね。
私が一番好きなのはコレ。
「もくじぃバージョン」
そうさ花が散るのは
種を結ぶため
明日っていう花
また咲かせるため
物語は続いてる
終わりは次の日々の始まりだ
先日、ずっと見たいと思っていた
映画「うまれる」を見ました。
子どもを産むと、やはり出産モノって
気になります。
しかも、“魂が震える!”って触れ込み。
ぜひとも震わせたいな、と思い。
で、見てみたわけなんです。
出産予定日に死産、など、
胸が痛くなる話があり、
涙があふれてきました。
出産は、本人達の頑張りや意思とは
無関係に、リスクと隣り合わせ。
何が起こるか分からない。
だからこそ、無事にうまれる、って
すごい事で、奇跡と言ってもよくて、
今ある幸せに感謝して日々生きよう。
って感想を抱きがちですよね。
いや、それが悪いと言っているのではなく。
私も、そう感じました。
その一方で、
どうして出産って、ゴールとして扱われがちなんだろう、とも感じました。
もくじぃの歌が頭の中に流れてきたのです。
終わりは次の日々の始まりだ
2回の出産を経験して感じること。
「始まり」に焦点を当てると、いろんな事が変わってくる。
妊娠中の気持ちや、心構え。
妊娠中、いや、もっと前からの
パートナー、周りの人達との関係性の築き方。
終わりは想像できないし、準備できない。
でも、始まりは想像すること、備えることができる。
私がそう感じるきっかけとなった、
3年前のNPO法人マドレボニータとの出会いは、また次の機会に書きたいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿